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うどんの歴史
うどん
小麦は、1万年以上前から存在していたといわれている。
また、多くの古代遺跡から麦の穂や粒が発見されていることからも、小麦は人類最初の作物のひとつと考えられている。

日本に伝わったのは紀元前1世紀頃と推定されている。
小麦の栽培は奈良時代にはすでに行われていたが、うどんが現在と同様なものになったのは室町時代で、
そばが麺状の食品になったのは1574年長野県にある定勝寺の古文書に書かれているものが初見。
その後江戸時代初期には地方の村々で麺類の売買が行われ、街道筋の茶屋で麺類が供されている。
初めは「混飩」と呼ばれ、次第に「食饂」と名付けられていく、蕎麦切りに比べるとはるかに古くから存在する。
そんなに昔からうどんがあったんだ
 
讃岐うどんの歴史
およそ300年の元禄時代に讃岐には、うどん屋があったといわれている。
琴平宮の表書院に保存されている屏風絵にうどん屋が描かれている。
うどんが讃岐の食文化として発展したのは条件が整っていた為である。
1つは、原料の小麦粉が讃岐で広く栽培され、気候が小麦栽培に向いていた為良質の小麦が沢山栽培されていた為、どんな人でも入手し易い環境にあった。
又、うどんを作る際必要な「塩」も讃岐では昔から良質のものが多く生産されていた。
こういった条件が揃って讃岐では、うどん作りが広まっていったとされる。
 
稲庭干しうどんの製造は佐藤市兵衛が始めたといわれ、元禄3年(1690)、秋田藩主の御用を戴いた。
その子孫は干しうどん製造を廃業したが、この頃から佐藤吉左衛門 (稲庭吉左衛門)が干饂飩製造所を興し、
品質改良に勤しんだ。宝暦二年(1725)に秋田藩の名品として御用達になったとある。
藩政時代、諸大名がそれぞれのお国自慢の特産品を贈答に使用した。
このことで、稲庭うどんも各藩の認める食物となる。
江戸権家を始め、各方面から秋田藩へ依頼があった。佐藤吉兵衛などは素麺(そうめん)も製造していた。
藩政時代、佐藤吉左衛門のうどんは秋田藩に全て納めていた為、庶民には入手し辛い物だった。
規格外の物がわずかに手に入るだけであった為、地元人でも、病気の時のみしか食すことが出来なかった。
明治時代には、佐藤平助、岩川嘉助、佐藤養助、小野寺平五郎等の同業者が出た。
その中で著名なのが、佐藤吉左衛門と佐藤養助である。
明治時代以降、宮内庁への献上、各種博覧会での数知れない受賞などを得るに至った。
多くの同業者が誕生し、生産量が伸びたことにより、現在では一般的な食べ物となった。




 
 
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